
どうもこんにちは、タピオカ卍(@manmaimine)です!
今回から不定期で、
5号機キッズの私から見た、
パチスロの歴史みたいなものをまとめる記事を書いていこうかなと。
パチスロには0号機以前から最新の6.1号機まであるのですが。
1バージョンごとに更新していく予定です。あくまでも予定。
予定は未定。私が折れたらこの企画は単発になる可能性があります。
ネットで情報をかき集め、それを私なりに再構成しての執筆となります。
諸注意
まず諸注意です。
今回の0号機以前編では、パチスロの成り立ちの歴史話を過分に含んでいます。
ご近所のおばあさんの話に耳を傾けるくらいのノリで読んでいただけると幸いです。
0号機以前の始まり
そもそもの始まりは、沖縄に米軍が持ち込んだスロットマシン。
ちなみにこれ、日本国内の稼働が警察から許されたわけではなく。
いわゆる治外法権的な稼働をしていたとか。
まぁ、駐留米軍の持ち込んだあれこれに、
日本の警察が口出しできる状況でもなかったとは思うんだけど。
あれ、これって今のパチスロ産業と似たような状k(ry
それにしても、スロット持ち込むってガチ勢だよなぁ。
当時のアメリカでも家スロって概念があるかも気になるけど。
それ以前に依存症キメちゃってないですかね…?
閑話休題。
そんな治外法権マシンを日本人がコピーした、と。
そうしてコピーされ製造されたマシンが、
1964年のオリンピックイヤーに認可を受けホールに設置。
そこから『オリンピアマシン』の名が付きます。
なんかこう…ね?海外みたいに派手じゃなく、かといって日本のスロらしさもなく。
THE 中 途 半 端。
というか窓ちっちゃすぎぃ?これでよく目押しなんかさせましたね。
ふと思った。東京オリンピックの年はスロットマシンを認可したのに、
東京オリンピック2020の年にはスロットの規制ぎっちぎちに固めるんですね?
ちなみこれは、営業を許可された初のマシンという立ち位置で。
これよりも前、セガが『セガ・ベル』という台を作っていてたとかいないとか。
WIKIPEDIAではこのマシンを”前史”の項にまとめてます。
0号機とそれ以前の台では違いがあるので、それはまたのちほど。
この台を取り扱う会社が、「株式会社オリンピア」なんですが…
実はこれ現オリンピアとは関係なし。
親会社は現タイトーと現SEGAのですしね。
一応、会社のルーツは沖縄のようで。つながりがあるとしたらそこですかね?
とはいえ、お前のところの沖縄要素って島系と南国系だけじゃねえか。はーつっかえ。
このオリンピアマシンのシステムは、1ゲーム/1bet。その上有効ラインも一つ。
ディスクアップやケロットなどで1枚掛けした時と同じようなイメージですかね。
後継機である『ニュー・オリンピア』でやっとのこと、
JACライクなボーナスゲームの機能が搭載。
初代オリンピア等では、小役がそろえばメダルが払い出される仕様でした。
わかりやすく言うと、
ノーマルAタイプからボーナスとリプレイを引き算した感じです。
(今でこそ7がそろえばボーナス入賞ですが、当時は7すら無かったようで。)
えっと…それ…楽しい?
現代に生きる私たちはそれこそ、
画面が暗転したり
画面の中の女の子とタッチしたり
女の子のお尻をしばいたりしてるわけですが。
このころは小役が落ちるだけですからね。
私が打てば感慨深いなぁと思うんでしょうけど、2つ目には
ってなるのは目に見えてますね。
閑話休題。
アメリカ産スロットのコピー品ゆえに当然と言えば当然なんですが。
この当時の外見やレバーは、海外カジノにあるスロットマシンのそれでした。
『AKB48 エンジェル』みたいなレバーも当然あります。
エンジェルのものは飾りですが、こちらはゲームの作動に必要なレバー。
毎ゲームアレを引くのは、癖になったでしょうね…
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一日中こんなん引いてたらつかれるわアホか。
というわけで、第1回の『0号機以前』はここまで。
続きを書く体力があれば、第2回目は『0号機』のお話になると思います。
最後までありがとうございました。それでは、また次の世代でお会いいたしましょう!
最後までお読みいただきありがとうございました!
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