どうもこんにちは、タピオカ卍(@manmaimine)です!
5号機キッズの私から見た、
パチスロの歴史みたいなものをまとめる記事。
今回は2回目でございます!
ちなみに前回はこちらからどうぞ。↑
パチスロには0号機以前から最新の6.1号機まであるのですが。
1バージョンごとに更新していく予定です。あくまでも予定。
今回は第2回ですが、第3回があるかはわかりません。
予定は未定。
というわけで、本編をどうぞ!
今回は0号機のおはなしです。
0号機の黎明、ジェミニ
オリンピアマシンの登場から13年後の1977年。
それと入れ替わるようにして、市場に新たなマシンが現れました。
マックス商事の『ジェミニ』。
見た目からしてあれだよね。デカァァァァァいッ説明不要!!って感じ。
この要素が後に障害となるのですが、それは後述。
前回の記事で話したAKBレバー()もちゃんとついてますね。
このジェミニでは、0号機以前の台から大きく進化した点があります。
それは台のシステム。
1ベット1ラインだったオリンピアから、3ベット5ライン機になりました。
(有効ラインのわかりやすい4号機のサンダーV。)
この時点で今のスロットに通じる基礎的な部分が出来ていたわけですね。
時代が進むにつれて3ベット1ライン、3ベット8ラインなどの変態も出てくるんですが。
それはまた別の話。
基礎があるからこそ、そこから逸脱できるんですよ。
アメリカンパチンコ(物理)
このジェミニが出た77年当時はまだパチスロという言葉がなく、
「アメリカンパチンコ」と呼ばれていたそうな。
アメリカから持ち込まれたからなのか。
それとも海外製の流行りモノに、
とりあえずアメリカってつけとけみたいな空気だったのか。
(流行りモノに言葉をつけると言うと、電気ブランを思い出しますね)
直訳するとアメリカ風のパチンコになるんですが。
パチンコ要素どこにあるんですかね?
名は体を表すとはよく言ったもので。
このジェミニさん。
米国メーカー、バリー社のパーツが要所要所に使われました。
というか主要部品がほとんどそれだったらしい。
(アメリカンの名はブラフではなかった。)
遊技用のストップボタン以外はほぼほぼ同じですね。
今のスロット業界でも筐体の使いまわしはありますが。
そうか、こんな初期から…。業界の体質は変わらないですねぇ()。
閑話休題。
メーカー側もジェミニを売り込む際に、
「米国の名マシン、バリーを受け継ぐ!」
なんてコピーも使われていたとかなんとか。
ほとんどバリーマシンだったろうに、
メーカーの営業がコスいのは今も昔も(ry
さてこのジェミニ、ベットやライン数がオリンピアより進化し、
遊技機として見事なレベルアップを果たしたわけですが。
当然ながら、短所もあったみたいで。
それは遊技機の高さ。
(さすがにこれは誇張入ってますけど)
パチンコオンリーの店舗がジェミニを導入しようとしても、
そのサイズゆえ枠にうまく収まらなかったとか。
ならばどうやって設置したかといえば。
既存のパチンコ用の枠を壊しジェミニサイズの枠組みを購入、設置。
その上での導入となったようです。
(当時の経営者たちの顔を想像してみる。)
めんどくさいですね。やめたらこの商売…
今も新基準機への入替やらで大揉めしてますが、
さすがに玉循環システムを枠ごとぶっ壊す必要はないですからね。
如何に手間がかかるかというのが分かってもらえると思います。
とはいえ。
この問題は後述する台達の登場によってある程度の決着を見ます。
0号機の確立
ジェミニの導入時に現れたサイズ問題。
ゲーム性は向上してもハードに問題があれば普及には至りません。
でかいってのはそれくらい大変なことなのです。
(でかいとぶっ飛ばされるみたいです。)
ジェミニ登場から3年後の1980年。
やっとこさ既存のパチンコ台枠に収まる機種が発売されます。
尚球社から発売された、初代パルサーです。
ここから、既存の枠に収まるサイズのパチスロ。
後年になって0号機呼ばれる規格が確立されました。
※(この0号機を確立したのはパルサーという情報。
ウィキペディアでは要確認となってるんですが、
ちょんぼりすた作成のまとめでは「初のパチスロ機」と記載があるため、
ここではそちらを採用しています。)
余談ですが、この尚球社は世界の岡崎こと現岡崎産業。
「あれ?パルサーって山佐では?」と思った方鋭い。
実はこれ、販売こそ尚球社ですが開発は山佐なんです。
最近は新鬼武者辺りが同じようなことしてましたね。
(開発はエンターライズ、販売はフィールズ)
(フィールズの製品一覧に乗っているくせに、公式サイトにはエンターライズの文字)
閑話休題。
この『初代 パルサー』こそ、現在まで続くパルサーシリーズの元祖。
機種名が『パチスロ パルサー』となっていて、
ジェミニからの3年間でアメリカンパチンコからパチスロへ、
呼び名が変遷していったようです。
ちなみにこの1980年という年。
パチスロメーカーの組合である「日本電動式遊技機工業協同組合(日電工)」が発足しました。
実質海外製だったジェミニから、日本式パチスロへの転換が図られていったわけです。
(のちに有名企業となるような会社も、0号機のころにすでに登場済み。
左からユニバーサル販売/リバティーベル、北電子/モンスター、サミー/フラッシュクイーン)
そして1号機へ
そういえば、しれっと80年から登場している『パチスロ』という言葉。
今ではすっかりおなじみですが、その由来はいったいなんなのでしょうか?
オリンピアの『遊技機産業の歴史』によれば。
「ぱちんことすろっとの両方から名を取った」との記載がありますが、これ以上の詳細は無し。
これはあくまで個人的な意見ですが。パチスロという名は、
「パチンコ台の空間に入るように製造されたスロット」からきていると予想します。
現に、そういったレギュレーションの元で開発されたパルサー。
これが日本のパチスロ史(0号機の)のスタートと見る意見もあるためです。
(これがゼロからってやつか…)
最後に。
上でもちらっと述べましたが、これらの台は当時0号機と呼ばれていませんでした。
何かが始まるときは1からのスタートですよね。これも例外ではありません。
これらが0号機と呼ばれるようになるのは、1985年以降のこと。
(やる予定があれば、記事がまとまれば)次回にお話ししますが。
同年にある法律が制定されまして、
その時に設置された台を1号機と呼ぶようになります。
初g…1号機が出てから、それ以前の台をの0号機と呼ぶようになったというわけです。
というわけで、今回は0号機のお話でした。
思いのほか長くなってしまって申し訳ないですが、
家の外に出れないときの暇つぶしくらいにはなるんじゃないかと思います。
これ4号機とかの解説とかどうするんだと思わなくもないですが。
まぁ、やるかはわからないからね。予定は未定。
それでは、機会があればまた次の記事でお会いいたしましょう!
最後までお読みいただきありがとうございました!
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参考にしたサイトさま
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